翻訳の単価を上げたいなら継続案件の更新のときに切り出す


この記事のポイント
- ✓翻訳の値上げを在宅で切り出すには
- ✓タイミングと数字の作り方が9割です
- ✓断られた後の二の矢まで
結論から書きます。在宅の翻訳で値上げを通したいなら、「いつ言うか」より先に「何の数字を見せるか」を決めてください。単価交渉が失敗する原因のほとんどは、タイミングが悪かったからではなく、値上げの根拠が「最近きつくて」「物価が上がったので」といった感情の言葉で終わっているからです。発注側の担当者は社内で予算の稟議を通す必要があり、そのときに使える材料を渡されなければ動きようがありません。
この記事では、翻訳 値上げ 在宅というテーマで、交渉の根拠になる数字の作り方を計算式レベルまで落として説明します。あわせて、切り出してよいタイミングと絶対に避けるべきタイミング、実際に送るメール文面の構造、断られたときの二の矢の出し方までまとめました。正直なところ、「勇気を出して言ってみましょう」で終わる記事が多すぎると感じています。勇気ではなく、materialが要るという話をします。
在宅翻訳の単価はいま二層化している
値上げの話をする前に、自分がどの層にいるかを把握しておく必要があります。ここを間違えると、交渉の相手も材料もずれます。
機械翻訳とポストエディットが単価表を割った
2020年代前半から、翻訳業務は「ゼロから訳す仕事」と「機械翻訳の出力を直す仕事」に分かれました。後者はポストエディット(MTPE)と呼ばれ、業界では原文1文字あたりの単価が通常翻訳の50%から70%程度に設定されることが一般的です。生成AIの精度が上がった2024年以降、この比率をさらに下げようとする発注が増えました。
ここで起きているのは単純な値下げではありません。実は市場が上下に割れています。汎用的な一般文書、ニュース記事の要約、社内メールの翻訳といった領域は単価が下がり続けている一方で、医薬、法務、金融、特許、ゲームローカライズ、マーケティングコピーのように「誤訳が事故に直結する領域」「文化的な言い換えが必要な領域」は単価が維持、もしくは上昇しています。後者では、機械翻訳を使うこと自体が契約で禁止されているケースも珍しくありません。
つまり在宅翻訳者にとっての値上げ交渉は、実質的に「自分がどちらの層の仕事をしているか」を発注側に再定義してもらう作業でもあります。汎用文書を汎用単価で受けたまま「上げてください」と言っても、発注側には代替がいくらでもあります。逆に、専門領域で品質実績があるなら、代替の探索コストが交渉材料になります。
発注側のコスト構造も変わっている
発注企業の側も楽ではありません。翻訳予算はマーケティング費や開発費の一部として管理されることが多く、円安局面では海外向け展開のコストが膨らみます。一方で、社内で翻訳会社を挟まずフリーランスに直接発注する動きは強まっています。理由は単純で、翻訳会社経由だと同じ成果物に対して中間コストが乗るからです。同じ予算なら直接発注のほうが多く頼めますし、受け手の手取りも厚くなります。
この構造を理解しておくと、交渉の言い方が変わります。「値上げしてください」ではなく「この予算枠で継続的に品質を担保するには、この単価が必要です」という言い方になる。前者は支出増の要求ですが、後者は予算配分の相談です。担当者が上司に持っていける形はどちらかを考えれば答えは明らかです。
契約条件を書面化する流れが追い風になっている
2024年11月に施行されたフリーランス・事業者間取引適正化等法(いわゆるフリーランス新法)により、業務委託をする側は、業務内容、報酬額、支払期日などを書面または電磁的方法で明示する義務を負うようになりました。支払期日は原則として物品等を受け取った日から起算して60日以内に設定する必要があります。取引条件の明示や不当な減額の禁止といったルールの詳細は公正取引委員会が公表しています。
在宅翻訳者にとって重要なのは、この法律によって「条件を文書で確認する行為」が異常なことではなくなった点です。以前は単価の条件を書面で残したいと言うだけで面倒な人だと思われる空気がありましたが、いまは発注側の義務なので、条件確認の連絡は自然に送れます。値上げの相談を切り出す入り口として、契約条件の確認は非常に使いやすい導線になりました。
値上げを切り出すタイミングの見極め方
タイミングは、値上げが通るかどうかを左右する変数のひとつです。ただし前述の通り、材料がないタイミングだけの勝負は分が悪いので、「材料が揃った瞬間」を狙うという考え方をします。
契約更新と年度替わりは最も自然な窓
企業の多くは年度単位で予算を組みます。日本企業なら4月始まりが主流、外資系なら1月始まりや7月始まりも多い。予算が固まる前、つまり年度開始の2から3か月前に打診しておくと、担当者は新年度の予算に織り込めます。逆に年度が始まってから言うと、「今期は枠が決まっているので来期に」と言われて12か月先送りになります。
継続契約であれば、契約書に記載された更新月の60日前が実務的な目安です。更新のタイミングは双方が条件を見直す前提の場面なので、値上げの話題が場違いになりません。
業務範囲が実質的に広がったとき
これが最も勝率の高いタイミングです。契約時は「英日翻訳のみ」だったのに、いつのまにか用語集のメンテナンス、翻訳メモリの整理、レイアウト崩れの修正、クライアントとの用語確認のやり取りまで担当している。在宅の翻訳ではこの範囲の膨張が非常に起きやすい。
範囲が広がった瞬間は、値上げではなく「作業範囲の再定義」として話を持ち出せます。「現在お受けしている作業のうち、当初の契約範囲外のものを整理しました。継続する場合はこの部分を単価に反映するか、別項目として計上させてください」という形です。これは要求ではなく整理の提案なので、担当者も受け止めやすい。
稼働が埋まってきたとき
受注量が増えて、これ以上受けられない状態に近づいているときは、交渉の立場が最も強くなります。値上げが通らなければ受注量を絞るという選択肢が実在するからです。ただし脅しの形にしてはいけません。「現在のスケジュールでは月あたりの受注可能量が上限に近づいています。優先的にお受けできる体制を維持するために、条件のご相談をさせてください」という言い方であれば、事実の共有として成立します。
切り出してはいけないタイミング
逆に避けるべき場面もはっきりしています。納品直後にミスの指摘を受けた直後、先方の担当者が異動や退職の直前、大型案件の進行中で先方が余裕を失っている時期。この3つでは、内容がどれだけ正当でも印象が悪くなります。特に案件進行中の値上げ要求は「足元を見られた」と受け取られ、その案件が終わった後に取引が切れる原因になります。
私自身、駆け出しの頃に大型の納品直前で単価の相談を持ち出して、露骨に空気を凍らせた経験があります。内容としては正当な範囲外作業の指摘だったのですが、相手にはこちらの都合しか見えていませんでした。あのときの学びは単純で、値上げは相手に考える時間の余裕があるときにしか通らないということです。
交渉の根拠になる数字の出し方
ここが本題です。値上げの相談で担当者が上司に持っていけるのは、感想ではなく数字です。用意すべき数字は4種類あります。
実効時給を計算して自分の現在地を出す
まず自分の実効時給を出します。計算式は次の通りです。
実効時給 = 案件の報酬総額 ÷ その案件に費やした総時間
ここでいう総時間には、翻訳作業そのものだけでなく、原文の下読み、用語調査、参考資料の確認、メールのやり取り、納品後の修正対応、請求処理までを全部入れます。在宅翻訳では、この付帯時間が実作業時間の20%から40%を占めることが珍しくありません。
具体例で示します。原文8,000ワードの英日翻訳を1ワード10円で受けたとすると報酬は80,000円。訳出に20時間、用語調査に4時間、質疑応答と修正に3時間、事務処理に1時間かかったとすると総時間は28時間。実効時給は2,857円です。訳出時間だけで割ると4,000円に見えるので、この差が「なぜか思ったより稼げていない」の正体になります。
交渉の材料としては、この実効時給を3か月分ほど並べて中央値を出します。案件ごとのばらつきが見えると、「特定の発注元だけ極端に実効時給が低い」という事実が浮かび上がる。値上げを申し入れる相手を選ぶ判断材料にもなります。
付帯作業を時間で分解して見せる
実効時給は自分の判断材料であって、そのまま相手に見せる数字ではありません。相手に見せるのは、付帯作業の内訳です。
たとえば直近3か月の案件を集計して、「1案件あたり平均で、用語確認のやり取りに2.5時間、参考資料の読み込みに1.8時間、レイアウト調整に1.2時間を要しています」と提示する。これは相手を責める数字ではなく、業務の実態を共有する数字です。そのうえで「この付帯作業を単価に含める前提でしたら現行単価は据え置きで問題ありませんが、別建てで計上いただくか、単価に反映いただくかをご相談させてください」と続けます。
数字を出すときのコツは、単位を時間で揃えることです。金額で言うと値上げ要求に聞こえますが、時間で言うと業務量の報告になります。金額に変換する作業は相手にやらせたほうが、相手の納得度が高くなります。
品質を数字に翻訳する
「品質が高い」は交渉材料になりません。数字にして初めて材料になります。翻訳で使いやすいのは次の指標です。
修正依頼率は、納品した案件のうち先方から修正依頼が来た割合です。直近30件で修正依頼が2件なら6.7%。納期遵守率は、約束した納期に間に合った割合。可能なら「平均で納期の18時間前に納品」のように前倒し幅も出します。用語集への準拠については、指定用語の適用漏れ件数を数えます。
これらの数字は自分で記録していないと出せません。逆に言えば、値上げを考え始めた時点から記録を取り始めれば、3か月後には交渉材料が揃います。翻訳支援ツールの履歴、納品メールの日時、修正依頼のメールを月ごとに集計するだけで十分です。
相場データを添えて客観性を担保する
自分の数字だけだと主観と受け取られます。そこに外部の相場データを一枚足すと、担当者が社内で説明しやすくなります。使える情報源はいくつかあります。
公的な統計としては、厚生労働省が公表している賃金構造基本統計調査の職種別データが、通訳・翻訳を含む専門職の給与水準の参考になります。求人媒体の掲載単価も実勢に近い材料です。たとえば在宅中心の通訳・翻訳ポジションでは、次のような条件が公開されています。
企業買収案件におけるIT統合プロジェクトで、在宅メインの逐次通訳・翻訳業務を担当いただきます。クライアント(日本)から海外在住社員への逐次通訳、録画ミーティングのサマリー作成、メール・各種文書の翻訳を行います。英語レベルはTOEIC目安900点以上、ビジネスレベルのスピーキング能力と、英語・日本語の通訳・翻訳経験、IT領域での通訳・翻訳経験が必須です。基本在宅勤務ですが、月1回程度の出社をお願いする場合があります。土日祝休みで、残業は月0~3時間程度です。 出典: 求人ボックス
この種の求人情報が示しているのは、専門領域を伴う在宅翻訳には相応の時給水準が設定されているという事実です。交渉の場では「同種の業務が市場でどのくらいの水準で募集されているか」を一枚のスクリーンショットや箇条書きで添えるだけで、話の説得力が変わります。職種別の単価水準を整理した著述家,記者,編集者の年収・単価相場のような職種データも、文章制作系の報酬レンジを俯瞰する材料として使えます。
値上げ率は根拠のある刻みで出す
いくら上げるかも数字の問題です。実務的には次の考え方が扱いやすい。
据え置きから10%までの範囲は、担当者の裁量で通ることがあります。10%を超えると多くの企業で上長の承認が要ります。30%を超える要求は、単価改定ではなく契約の作り直しとして扱われるので、範囲の再定義とセットにしないと通りません。
初回の申し入れでは10%から15%を提示し、根拠として付帯作業の時間と品質指標を添える。この幅なら「一度持ち帰って検討します」の返事が返ってきやすく、交渉が始まります。金額を丸めるときは、1ワード10円を11円にする、1文字4円を4.5円にするといった具合に、相手が計算しやすい刻みにします。半端な数字は事務コストを増やすので、それだけで嫌がられます。
伝え方の設計とメール文面
材料が揃ったら伝え方です。在宅の取引ではメールかチャットが主戦場なので、文面の構造が結果を決めます。
文面は5ブロックで組む
順番はこうです。感謝と現状の共有、業務実態の報告、市場環境の言及、具体的な提案、相手に選ばせる選択肢。
冒頭でいきなり値上げに入らないのは、担当者が読んだ瞬間に身構えるからです。逆に世間話が長すぎると本題がぼやけます。目安として、本題に入るまで3行以内に収めます。
最後に選択肢を置くのが重要です。「単価を上げてください」の一択だと、イエスかノーしかありません。「単価改定」「付帯作業の別建て計上」「作業範囲を縮小して現行単価を維持」の3案を並べると、相手は必ずどれかを選ぶ必要が生まれ、交渉が前に進みます。
実際の文面例
例文を挙げます。〇〇の部分は自分の状況に置き換えてください。
〇〇様
いつも大変お世話になっております。△△の翻訳を担当しております□□です。
来期のご契約に向けて、現在の作業内容について1点ご相談させてください。
直近3か月の案件を集計しましたところ、翻訳作業のほかに、用語確認のやり取りで1案件あたり平均2.5時間、参考資料の読み込みで1.8時間、納品フォーマットの調整で1.2時間を要しております。ご契約時に想定していた範囲より作業が広がっている状況です。
品質面では、直近30件の納品で修正依頼が2件、納期遵守率は100%を維持しております。今後もこの水準を保つ体制を続けたいと考えております。
つきましては、次のいずれかの形でご検討いただけますでしょうか。
- 現行単価を1ワードあたり11円へ改定(現行比10%)
- 単価は据え置き、付帯作業を時間単価で別途計上
- 単価据え置きのまま、付帯作業を貴社側でご対応いただき、翻訳のみに範囲を限定
ご都合のよい形をお聞かせいただけますと幸いです。ご検討のほどよろしくお願いいたします。
この文面のポイントは、要求ではなく相談の形にしていること、数字が全部検証可能な事実であること、そして相手に選択肢を渡していることです。感情の言葉はひとつも入っていません。
断られたときの二の矢
一発で通ることは多くありません。断られたときこそ差が出ます。
「予算が厳しい」と言われた場合、金額以外の条件を取りに行きます。納期の余裕を延ばす、最低発注量を保証してもらう、支払サイトを短縮してもらう、優先受注の権利を明文化する。これらはどれも実効時給や資金繰りに効くので、実質的な値上げと同じ効果があります。特に支払サイトの短縮は、相手にとって金額の増加ではないため通りやすい。
「今期は無理」と言われた場合は、時期を確定させます。「では次回の契約更新時に改めてご相談させてください。その際は本日お伝えした内容を前提として進めていただけますか」と書面で残す。ここで曖昧にすると、次も同じ会話を最初からやることになります。
「他の方に頼む」と示唆された場合は、素直に引く判断も要ります。ただし、引く前に必ず引き継ぎコストを穏やかに提示します。用語集の蓄積、過去訳との整合、社内特有の言い回しの把握といった資産は移転できません。これは脅しではなく事実の共有として、淡々と書けば伝わります。
単価が上がりやすい領域へ軸をずらす
交渉で通せる幅には限界があります。同じ相手に毎年10%を要求し続けることはできません。中期的には、単価が高い領域へ自分の立ち位置を移すほうが効きます。
分野特化が最も効く
医薬、法務、特許、金融、IT、ゲーム、映像の各領域は、専門知識の参入障壁があるぶん単価水準が高く保たれています。特に映像分野は、字幕の文字数制限やタイミング調整といった翻訳以外のスキルが必要になるため、価格競争になりにくい。映像翻訳・字幕・通訳のお仕事では、字幕制作や逐次通訳を含む案件の実務内容がまとまっているので、隣接領域への広げ方を検討するときの参考になります。
分野特化の始め方は、いま受けている案件のうち最も専門性が高いものを起点にすることです。ゼロから新分野を学ぶより、既存案件で得た用語知識を深掘りするほうが早い。同じ発注元の中でも、難易度の高い文書を優先的に引き受けていくと、自然に単価の高い層へ移動できます。
言語ペアと希少性
英日以外の言語ペアは、案件数が少ない代わりに競合も少ない。中国語、韓国語、ベトナム語、タイ語、インドネシア語は、日本企業のアジア展開に伴って需要が続いています。HSK(中国語検定)で副業する方法|翻訳・通訳・インバウンド案件では、中国語資格を実際の案件につなげる道筋を整理しています。複数言語を扱える場合は、言語交換を副業にする方法|日本語教師・翻訳・通訳で稼ぐ【2026年版】のように語学力そのものを複線化して収益源を増やす発想も有効です。
資格は交渉の書類になる
資格そのものが単価を上げるわけではありませんが、発注側が社内で説明する材料にはなります。「この翻訳者は認証を保有している」という一行が稟議書に書けるかどうかは、意外に効きます。JTF翻訳品質認証は翻訳業界内で認知のある認証で、品質管理の観点から評価されます。中国語なら中国語検定(中検)1級のような上位級が同様の役割を果たします。英語資格からの展開については英検準1級・1級を副業に活かす|翻訳・教育・ライティングの案件にも案件の広げ方がまとまっています。
取引先の構成を組み替えるという解
ひとつの発注元に売上が集中していると、交渉できません。断られたら生活が止まるからです。値上げ交渉の前提条件は、実は取引先の分散にあります。
目安として、1社あたりの売上比率が50%を超えていると交渉力は著しく落ちます。30%以下に分散していれば、1社との条件が折り合わなくても事業が続きます。分散のためには常時3社から5社の取引を維持し、そのうち1社は新規開拓の枠として空けておくのが実務的です。
新規開拓の入口としては、翻訳会社への登録、企業への直接営業、在宅ワーク求人サイトの3系統があります。翻訳会社は案件が安定する代わりに中間コストが乗るため単価は抑えられます。直接取引は単価が厚くなる代わりに、条件交渉や請求処理を自分でやる必要があります。英語・多言語翻訳のお仕事には、翻訳案件で求められるスキルや業務範囲の実例がまとまっているので、直接取引で提示する条件を組み立てる際の下敷きになります。関連して、語学を教える方向へ広げるなら翻訳・ライティングレッスンのお仕事のような講座系の案件も、単価の柱を増やす選択肢になります。
税務面の扱いも押さえておきます。報酬から源泉徴収される場合の税率や、消費税のインボイス制度に関する取り扱いは国税庁の情報が一次資料です。値上げ交渉の際、消費税の扱いを含めた総額で話しているのか、税抜の単価で話しているのかを最初に確認しておかないと、合意後に金額がずれます。
市場を長く見てきた立場からの観察
20年この市場を運営してきた立場から言えば、単価が継続的に上がっていく人には共通点があります。値上げを「イベント」として年に一度ぶつけるのではなく、日常のやり取りの中で自分の作業実態を小出しに共有しているという点です。
たとえば納品メールに「今回は原文の表記ゆれが多かったため、用語の統一に通常より時間をかけています」と一行添える。修正対応のときに「この修正は仕様変更にあたるので、次回以降は事前に共有いただけると助かります」と書く。こうした積み重ねがあると、いざ値上げの相談をしたときに、担当者の頭の中にすでに文脈ができています。文脈のない相手に突然数字を突きつけても、相手は防御的になるだけです。
もうひとつ、運営者として見てきた限りでは、長く続く翻訳者ほど「安く速い人」ではなく「この人に任せると社内の手間が減る人」というポジションを取っています。用語集を自分で整備して渡す、原文の誤りを指摘する、次回の作業を見越して申し送りを残す。こうした振る舞いは単価表には出てきませんが、発注側にとっては明確なコスト削減です。そして中間マージンが乗らない直接の取引では、同じ予算で依頼側はより多く頼め、受け手は手数料0%のぶん手取りが厚くなる。この双方が得をする構造が成立している関係は、単価交渉そのものが穏やかになります。値上げが揉めるのは、たいてい取引の構造がゼロサムになっているときです。
職種データから読む在宅翻訳の位置づけ
在宅ワークの職種別データを横断して見ると、翻訳は「単価のレンジが極端に広い職種」に分類されます。同じ翻訳という職種名でも、汎用文書のポストエディットと医薬分野の規制文書翻訳では、実効時給に数倍の開きが出ます。この幅の広さは、裏を返せば移動の余地が大きいということです。
比較のために近接職種を見ると、ソフトウェア作成者の年収・単価相場のような技術職では、スキルレベルによる単価差はあるものの、翻訳ほど極端な二極化は起きていません。翻訳で二極化が激しいのは、機械翻訳という代替手段が一部の領域だけを直撃したからです。つまり値上げ交渉の本質は、「機械に代替されにくい領域にいることを、数字で示せるか」という一点に集約されます。
そう考えると、この記事で挙げた材料の優先順位も見えてきます。最も強いのは品質指標(修正依頼率、用語準拠率)です。これは機械翻訳との差そのものを示す数字だからです。次が付帯作業の時間で、これは自分が翻訳以外の価値も提供している証拠になります。相場データはあくまで補強材料で、これ単体では交渉になりません。順番を間違えると、「市場が上がっているから上げてくれ」という他人事の要求になってしまいます。
記録を取り始めてから交渉できる状態になるまで、おおむね3か月です。値上げを考えた今日から集計を始めれば、次の契約更新には間に合います。
交渉前に整えておく契約まわりの実務
値上げの相談は、契約書の状態がはっきりしていないと空中戦になります。単価だけを口頭で決めていて、作業範囲や修正回数の上限がどこにも書かれていない状態だと、「範囲外の作業をしている」という主張の根拠そのものが存在しません。交渉の準備は、実は契約条件の棚卸しから始まります。
確認すべき項目は決まっています。単価の単位が原文ワード数なのか原文文字数なのか訳文文字数なのか。数え方が違うだけで実質的な報酬は変わります。次に修正対応の範囲です。初稿納品後の修正が何回まで無償なのか、どこからが追加作業なのかが定義されていないと、修正が無限に発生します。さらに、翻訳メモリや用語集の整備、参考資料の読み込み、会議への参加といった翻訳以外の作業が単価に含まれるのかどうか。納期の設定方法も重要で、依頼から納品までの最短日数が決まっていないと、常に無理な納期を飲まされることになります。
これらが書面にない場合、いきなり単価の話をするより先に、条件の明文化を提案するほうが早いことがあります。条件を書き出す過程で、発注側も「こんなにお願いしていたのか」と気づくからです。実際、範囲を紙に書き出しただけで、先方から単価の見直しを提案してきたケースを何度も見ています。値上げを要求せずに値上げが起きる、最も摩擦の少ない経路です。
書面化を依頼するときの言い方は、次のようなものが自然です。取引条件を明示する義務が発注側にあることを踏まえ、「今後の行き違いを防ぐために、作業範囲と報酬条件を一度書面で整理させてください」と伝える。相手を責める文脈ではなく、事務手続きの提案として出せます。相手が個人事業主や小規模事業者の場合、そもそも書式を持っていないことも多いので、こちらから項目の草案を送ってしまうほうが話が早く進みます。
なお、報酬の未払いや一方的な減額といったトラブルに発展した場合は、取引の記録がすべての証拠になります。発注のやり取りはメールやチャットで残し、電話で決まった内容は必ず自分から要約メールを送って文字にしておく。この習慣があるかどうかで、いざというときの立場がまったく変わります。
よくある質問
Q. 在宅翻訳で値上げを申し入れる適切な頻度は?
同じ取引先に対しては年1回、契約更新のタイミングに合わせるのが基本です。ただし作業範囲が実質的に広がったときは、更新時期を待たずに範囲の再定義として相談して構いません。半年以内に2回以上の値上げ要求は、根拠が明確でない限り関係を悪化させます。
Q. 値上げの根拠として一番効く数字は何ですか?
修正依頼率や納期遵守率といった品質指標です。直近30件で修正依頼2件といった形で示せると、機械翻訳や他の翻訳者との差を客観的に説明できます。次に効くのが付帯作業の時間で、用語確認や資料読み込みに要した時間を案件あたりの平均で出します。
Q. 値上げを断られたら取引を切るべきですか?
すぐに切る必要はありません。金額以外の条件、たとえば支払サイトの短縮、納期の余裕、最低発注量の保証などを取りに行くと、実質的な待遇改善になります。そのうえで新規開拓を進め、売上比率が30%以下になったら改めて交渉する流れが現実的です。
Q. 値上げ率は何%が妥当ですか?
初回の申し入れでは10%から15%が現実的な提示幅です。10%以内なら担当者の裁量で通ることがあり、それを超えると上長承認が必要になる企業が多いためです。30%を超える要求は単価改定ではなく契約の作り直しとして扱われるので、作業範囲の再定義とセットで提案します。
この記事について
編集部
監修:@SOHO編集部
2004年よりフリーランス・在宅ワーク向けサービスを20年運営。編集部が事実確認のうえ公開しています。

この記事を書いた人
朝比奈 蒼@SOHO編集部
ITメディア編集者
IT系メディアで編集・ライティングを担当。クラウドソーシング業界の動向やサービス比較など、客観的な視点での記事を執筆しています。
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